私が「来月、ダバオへ行く」といったら、周囲の人達の反応は「何でまた、先月行って来たばかりじゃないの」「ダバオって、あのミンダナオ島だろう。誘拐されたらどうするの」といったものが殆どで、総じて否定的でした。
さながら、寅さんのように1年中旅をしている、いわば「札付き」の私をよく知っている人達にしてこの反応です。「いや、寅さんならまだいい。旅先には、笑いもあれば時にはロマンスもあるし、何たって国内だ。それをよりによって、過激派も出没するといわれている外国の島なんて」と半ば見放したといったところが大勢だったようです。
そんな反応を予想しながらも、フィリピン南部、ミンダナオ島最大の都市 ダバオに、
寺本 一伸さんを尋ねたのは、今年(2006年)1月のことです。市内の中心部から車で10分ほどの静かな住宅地に、その住まいはありました。
寺本さんの事については、これまで何度か日本フィリピンボランティア協会(JPVA)の網代正孝会長から聞いていましたし、新聞や週刊誌でも取り上げられてきました。金沢の小学校の教師だった31歳の時、交通事故で脊髄損傷の重傷を負い、首から下の身体がマヒし、右手が少し動く他は全く身体の自由がきかなくなったのです。以来16年間、ほとんど寝たきりの状態で過ごしてきました。この間、郷里の金沢で1年、福井県で3年、東京の多摩で2年それぞれ生活してきましたが、1年のうち外出できるのは、わずか1日、それも4時間といった極限状態に耐えられず、自分で調べ自らの意志でマニラに、そして3年前の2003年2月にミンダナオのダバオに移って来たのです。
こうした困難な事を、ほとんど自分の意志で切り開いてきた人の話を、直接聞かせていただこうと思ったのが、ダバオを尋ねた動機。とはいえ、いきなり伺うには、ツテもさることながら、ためらいもありました。2ヶ月前にもダバオを訪問しながら、伺えなかった経緯もあり今回は意を決しました。そして、この度の訪問にあたっては、長くダバオでのボランティア活動に携わっている、JPVAの現地責任者、西山 卓也さんらに案内していただきました。それでも、玄関に入る前に、またちょっと戸惑いました。16年間も寝たきりの人に、新聞や週刊誌での予備知識しかない自分が、どんな顔でどんな挨拶をして入ったらいいのかと。

でも、そんなあれこれの懸念は、寺本さん宅に入るや否や氷解しました。寺本さんの方から、声をかけてくれたからです。「ようこそ、いらっしゃいました。どうぞお掛け下さい。ダバオの印象はどうですか」と驚くほど積極的に声をかけてくれました。私が「2ヶ月前にも来たのですが、時間の制約もあってお伺い出来なかったのです」と答えると「じゃあ、市内のガイサノショッピングモールや魚市場はもう行って来たんですね。あそこの前の道路はいつも混んでいますよね」といった調子。人恋しさもあるかもしれませんが、寺本さん自身の積極的で行動的な生き方が、どんどんハネ返ってきます。
平日交替で2人いるケアギバー(介護士)は、週末にもう1人が交代要員として加わり、24時間ケアしてもらっているとのこと。メールは口でくわえた筆のような棒でパソコンのキーをたたき、器用に日本の知人とやりとりしている様子。目下、200ページを目標に手記を書いて(打って)おり、あと30ページまできたそうです。 ダバオでは、介護士の募集も自分で小さな雑誌に1ヶ月約100円の掲載料を払って載せて採用したそうです。 ちなみに、3人の介護士の費用は1ヶ月約5万円、2階建ての1戸建住宅の家賃は約3万円、これに食費が約1万円、教養娯楽費等を加えて占めて1ヶ月約10万円くらいとのこと。
昨年9〜10月、電動車椅子の修理の為、日本に帰国した時、日本人のヘルパーにもついてもらったけれど、耳が痒いといっても耳掃除はダメ、爪を切ってもらおうと思っても爪切りも「医療行為」に当るからダメと、もっぱら「家事援助」だけで、全くダメづくめだったといいます。 そして、「確かに、日本人は気配りなどは優れていますが、法律上の制約が多すぎて自分のような者が生活していくには、すごく不便なことが多すぎます」とも語ります。 とはいえ、日本にいれば得られるであろう様々なケアや利便性に比べての不便や不安はないですか、との質問にはこう答えました。「確かに、ここに来たら何から何まで自分で判断してやらなければなりません。例えば、ワゴン車の後部座席にこの車椅子をどうやって固定するかといった事を1つ1つ解決するのも大変でしたが、それも楽しみになりました。 日本にいた時は、みな良くしてくれましたが、全てが管理されており、朝6時起床、7時半朝食、夕方4時半夕食、外出は年1回とパターン化されていました。それに比べたら、いろいろ苦労も多いけれど、それを克服する事も喜びにつながります。私はダバオに来て良かったと思っています」と話してくれました。
寺本さんのお宅が、ダバオ空港の滑走路の延長線上に位置している為か、時折ジェット機の離発着の音が聞こえてきます。また、物売りの声も聞こえてきます。「何を売りに来るのですか」と聞いたら、「何でも売りに来ますよ。ヤクルトも」「えっ、ヤクルトも売りに来るんですか。僕も飲んでいますよ」と返したら、「そうですか、こちらでも人気がありますよ。ヤクルトも国際的な商品ですね」と、しばしヤクルト談議。
別れ際、パソコンの近くに額に入った、端正な顔立ちの若者の写真が目に入ってきました。息子さんだそうで、今年春、大学を卒業するとの事。「じゃあ、これから楽しみですね」と言葉を向けたら、「バンドに夢中でどうなることやら」と、少しはにかみながら答えてくれました。

前出のJPVAの網代会長は言います。 「FTA(自由貿易協定)の締結をふまえて、フィリピンからの日本への看護士、介護士の来日にだけ注目が集まっていますが、若いフィリピン人が皆日本に来たら、現地は空洞化してしまいます。フィリピン人医師までが、欧米へ看護士として出稼ぎに出て行き、その為に深刻な医師・看護士不足が起きている現状も何とかしなければなりません。フィリピンは、ホスピタリティにあふれた優しい国です。少しくらい障害のある人が日本から来てくれる事も、現地は歓迎なんです。そうした事を通じて、日本とフィリピンの相互交流も深まるし、現地の雇用拡大にもつながります。ダバオはフィリピンでは比較的治安も良く、物価も安い。タクシーも(上乗せなど求められず)、メーター通りで足りる街だということを、もっと解かってもらいたいですね」 ロビンソンクルーソーでもあるまいし、人は一人では生きていけません。また、人は誰でも年をとるし、そうでなくても不慮の事故や病で介護を受けなければならなくなるかも知れません。この少論を書いている時に、東京近郊のNPO法人で介護の仕事をしている人から、施設を確保するのに近隣の人達からの反応もいろいろあって苦労している、といった話も伺いました。我が国の介護の現場では、人手だけでなく、施設を作る事もそれを維持する事も、数多くの障害があるといわれています。ダバオがそうした問題解決の魔法の杖であるなどということは、もとよりありません。 マニラへの渡航から介護士の募集まで、自分で主体的にやってきた寺本さんのケースは、 もちろん誰にでも出来ることではありません。 しかし、少子高齢化が進むことが確実な日本で、一方通行でない道も喫緊の課題として考えてみる必要がありそうです。
介護ツアー(お申込み先:日本フィリピンボランティア協会)(PDFを印刷してFAXで送信する)