2月中旬、半年振りに訪れた上海は、鹿児島とほぼ同じ緯度にあるというのに小雪が舞っていました。その半月後、3月の初旬に再び訪れた時は、さすがに幾分春めいていました。2回の訪問を通じて上海市民から、中国の現状についてどう考えているのかを聞いてみました。以下はそのレポートです。今年(2006年)1月末、中国青年報の附属週刊紙「氷点」が突然、発行停止に追い込まれました。同紙が自国の歴史教科書を批判する論文を載せたというのがその理由ですが、中国共産党中央宣伝部の圧力によるものと言われています。今までと違うのは、この弾圧に抗議する動きが、同紙の編集長や記者達にとどまらず、著名な長老までも加わっており、海外からの批判もあって、編集長こそ交替させたものの1ヶ月後の3月1日には復刊を認めざるを得なくなったということです。また、5万人といわれるネット警察によるインターネットへの政府の介入とそれをサポートするグーグル、ヤフーなどへの米国側からの批判もあって、このところ中国の民主化の遅れに対する世界の眼は厳しくなってきています。
上海市東部には「阿Q正伝」などを著し、中国の近代化に大きな影響を与えた魯迅(ろじん)を記念する魯迅公園があります。ここに行ってみるとダンスや太極拳をする人達のほか、いくつかの小さな市民の輪ができています。この市民の輪のことを「政治論壇」と呼ぶのだそうですが、さながら市民の政治に関するディスカッションの場といったところです。ここでの議論の中心が党、役人や行政の腐敗、不正に対する不満だと聞きました。
街中の公園で権力批判をして大丈夫なのか、警官が駆けつけてきて取り締まらないのかと思いきや、その懸念はあっさり否定されてしまいました。
中国の規制というのは、出版物、マスコミやインターネットといったものを通じての事象が中心で、一般市民が不平不満を口にするといった事までは対象外のようです。このことは、日本人留学生からも同じように聞かされました。自分が受講した中国人講師全員が自国の政治の腐敗を批判していたと言います。出版物やメディア媒体といった活字に神経を尖らすのは、なるほど漢字文化の国であり、秦の始皇帝以来10数回も焚書(ふんしょ)の歴史を重ねてきた国でもあるのかな、と妙に感心したりしてしまいました。
日本の戦前の特高警察や北朝鮮の密告システムとは程遠いと、ホッとしつつ「言論の自由も少しはあるんですね」と質問したところ、50歳代の男性から次のような答えが返ってきました。
「あなたが、どう思っていたか判らないけど、おそらくはね。でもそれより、もう政府に一般市民の不平不満を取り締まる余裕がないんです。警察はというけれど、警察だって
大多数の下っぱは、コネやワイロの現状にうんざりしており、わざわざ政治論壇を解散させる気などありませんよ。護送車に収容された市民だって、多くは途中で“解放”されているのが実情ですよ。」
中国一、平均所得が高いといわれる上海市民の平均月収は、約4〜5万円といわれます。最貧の貴州省の13倍以上ですが、その分、物価とりわけ住宅費や学費、医療費の値上がりもすごく、市民の生活は苦しいと言います。
私が見せてもらった人の子弟の大学の学費は年額1万元(約15万円)、これに寮費や教材費がかかり、合計で約20万円にもなります。かつては無料だった医療費も高くなっており、風邪をひいて医者に診てもらうだけで約300元(4500円)かかると言います。住宅費の高騰は、バブルも相まってもっとすごいものがあります。
折りしも、私が滞在中に北京で開催されていた、中国の国会にあたる全国人民代表大会
(全人代)では、昨年1年間だけで汚職や横領事件で4万人以上が摘発されたと公表されました。日本とは行政単位も規模も違いますが、省や市の下の県の副県長のポストは17〜18万元(250〜270万円)、局長のポストなら約10万元(約150万円)で買えるといわれています。また、アメリカの議会報告で中国当局が治安を乱したとみなす「抗議行動」が2004年74,000件、翌2005年には87,000件に達したとの報道もあります。
江戸時代末期の1837年、大坂の下級役人だった大塩平八郎の乱に参加した人は約300人、わずか半日で鎮圧されたこの小さな乱ですら日本の歴史教科書にはあまねく記載されています。たった1つの小さな乱ですら時の江戸幕府を震撼させたといいます。江戸幕府が倒れたのはそれから30年後のことです。いかに日本の10倍の人口を擁し、26倍の面積をもつ大国でも、1年間に87,000件という数字が尋常でないはずはありません。
「小泉首相は、依然として高い支持率を維持しています。しかし、過去に近隣諸国に多大な迷惑をかけておいて、その相手国が不快感を示しているのに靖国神社参拝をあくまで止めないという姿勢については、必ずしも日本人の多くが支持しているとは思わないけれど、中国の人達はこうした一連の日本の動きをどう見ているのですか」と聞いてみました。 40歳代の男性の答えは次のようなものです。 「他国を蹂躙(じゅうりん)しておいて、反省の姿勢を示さない指導者を快く思う人はいないでしょう。しかし、今の政府の姿勢はちょっと違うと思います。腐敗や不正に対する国民の怒りや不満の矛先をそらす為に、支持率の低下に悩む韓国と深刻な飢餓に直面している北朝鮮を誘って貴国(日本)への軍国主義批判キャンペーンを張っているのです。 でも、誘った兄弟たちが不人気なのと、うっかりその批判を拡大すると昨年の反日デモのように制御できなくなって、政府自体に矛先が向かっては困るというジレンマに陥ってしまいかねないので、弱っているのです。だから、腐敗撲滅を掲げたり、地方政府の不正を摘発したりして、ガス抜きもしているんです。こんなことは普通の市民なら誰でも知っています。誰でもですよ。胡錦濤主席も今までよりは、改革に真剣に取り組んでいると思うし、危機感も強いと思います。でも、本当にイニシアティブが発揮できるようになるには、これまでの上海閥のしがらみなどから抜け出せないと難しいと思いますよ。」 現政権を比較的好意的にみているのと、「誰でもですよ」を二度繰り返したのが印象に残りました。
それにしても誰もが、ここまで見通しているとしたら、さすが5000年の歴史を持ち、
三国志を生んだ国だなぁと納得しつつ、さればとて、最近の日本を春秋の筆法で勝手に分析してみました。
自民党幹事長の二男に対する民主党議員の国会質問に端を発したいわゆる「偽メール事件」
では民主党の対応のまずさが大きな批判を浴びました。あまりの対応の稚拙さから、
自民党の陰謀説や民主党の内通説さえ出て、はては民主党は小泉政権の応援団ではないかといった
皮肉とも嘆きともいえる声まで聞かれるほどになりました。
この伝でいけば、今年9月での退任を宣言している小泉首相は実は中国や韓国の応援団ではないかという疑問も浮かんできます。
内政の不満の矛先を外に向けるのは古来政治の常識、それも退任が決まっているGDP世界第2位の日本の首相となれば、
過去の歴史的経過もあり悪役にぴったりという訳です。何しろ米国では遠いし強大すぎるが、
近くて図体は小さいが金持ちの日本は、はまり役なのかも知れません。
小泉首相も歴代の凡百の首相と違って、引退後外交、軍事で同一歩調をとって恩を売ってきた米国はもちろん、
サンドバックになったことで中国や韓国の内政の危機回避に一役買い、影響力も残せるという計算です。
深謀遠慮の国際政治ゆえ、この計算が合っているか否かがはっきりするにはもう少し時間がかかりそうです。
上海市の繁華街・南京東路に面した喫茶店で1時間ほど通行人を見ていました。着ているものや人の表情を見た限りでは、土地の強制収容や貧困にあえぐ農民のような姿はありませんでした。そのかわりというべきか、半年前目にした、手鏡を持ってゴミ箱の中をあさる人が、あきらかに増えているように感じました。同じゴミ箱をほとんど入れ替わり立ち替わり2〜3分おきくらいに、手慣れた感じの人が手鏡をさっと取り出して、中をあさって立ち去って行くのです。何だか、駅で雑誌や新聞を回収している人達を想起しないでもありませんでしたが、上海一の繁華街でゴミ箱というのが、ちょっと切なく感じました。中国は13億人の人口のうち5億人が、1日1ドル以下の生活を余儀なくされており、ヨーロッパとアフリカが同居していると言われています。そのなかで、上海市民は計算上は最も高い所得を得ていることになります。しかし、党や役人の不正、腐敗やコネ、不公平に対する不満は、所得の上昇や情報の発達している分だけ、農村とは違った意味で強いようです。あれこれ質問しているなかで、逆に前出の40代の男性から「日本の役人は不正を働かないのか」と質問されました。役人の不正が恒常化している中国の人からすると、不思議なのかもしれません。考えてみれば、日本では表面化する汚職や不正は、中国よりはるかに少ないことは間違いありません。しかし、少し見方を変えてみると、官製談合や天下りなど役人が自分達の老後を安泰に過ごす為の「合法的不正」は中国のそれよりも悪質かもしれません。役人は自分達で法律や予算の原案を作り、そのなかに特殊法人や社団法人などの受け皿を作って、ちゃっかりそこに居座って、役人時代の退職金をもらったあとも、なお高額の給与や退職金を受け取れる仕組みを作っているのが実情です。この財源はもちろん私たちの税金です。粗暴に収奪されるのも許せないが、合法の名で収奪されるのも同じくらい許せないなぁと思いつつ、質問への答えを出しそびれていました。
上海一の観光スポット、外灘(わいたん)から眺める浦東地区の巨大ビル群はニューヨークをもしのぐ、さながらアジアの摩天楼といった風景です。今、ここで一番高いハイアットホテル(88階建)のビルのすぐ隣りに、日本の森ビルが手がけている上海環球金融センタービルが建設中です。完成すると地上101階建、高さ492m、建物としては世界一の台湾の台北101ビルに匹敵するようになるそうです。上海の建設ラッシュは2010年の上海万博まで続くといわれています。建築関係者にとっては、一足先に春が来ているかもしれません。上海を発つ前日、久し振り市内の名所、豫園に立ち寄ってみました。相変わらずの人出でしたが、入り口の梅は満開で半月前の小雪が嘘のように、私たちを迎えてくれました。
春よ来い 春天快来?!
そんな思いで上海をあとにしました。 (2006年3月15日記)